宮崎駿監督最新作
「君たちはどう生きるか」を見たので、考察してみたい。
見た人が「なんで」って思うところをピックアップする形でヒュウィゴー!!
ネタバレしかないので、これから見る人はあしからず。
では早速。
本作は主人公「眞人(まひと)」の「心の成長の話」であると捉えているので、そのていで書きます。
あとナツコの漢字は適当に夏子でいきます。
①なぜ自分の頭を傷つけたのか
夏子の注目を集めたかったため。
眞人の中の不安? が衝動的にとらせた行為。
映画を見ても、眞人が夏子を好きなのか、嫌いなのか、分からなかったと思います。きっと、眞人自身も、自分が夏子を好きかどうか分からない状態だったと思います。
そして、そんな状態こそが本作のテーマなんじゃないのかなぁと思います。
ただ、産屋で眞人は夏子を好きなことがハッキリしましたね。
②アオサギの役割
キービジュアルにもなっているこの喋るアオサギは、眞人の欲望の一翼を担っている。もう一人の自分的なポジション。
コイツがごちゃごちゃ言うせいで、自分の本当の気持ちが分からなくなる。けど、みんなそんなもんじゃないの? 的な。わからない自分をどう理解してどう進んでいくの的な。
劇中で言えば、眞人はまだ母親が死んだことを自分の中で消化できていません。「死体を実際に見たわけじゃない」などと言って、死を受け入れていない。反面、死を受け入れている自分もいます。自分を理解するって難しいですね。
③ハナレの屋敷
アオサギの言葉にそそのかされ、建物のハナレに行く。そのハナレこそが眞人一族の心のプラットフォーム、または眞人の心の中だと考えられる。
ハナレには火事で死んだはずの母親が眠っていましたが、焦って触れることで、心の深いところへと溶け落ちてしまいます。
母を追うように眞人も心の深層へ。
そこには「この門を学ぶものは死ぬ」と書かれた門が。大量のペリカンに押され開けてしまいましたね。
④門の中にあったもの
それは人なら誰もが持ち得る、心のドス暗くて残酷な、見たくもない部分だったと思います。
そしてペリカンが意味するのは心の悪の部分。眞人は悪の心に押され、心の深淵の扉を開いてしまったのです。
誰にだってある目を伏せたくなるような部分。「そんなところをずっと見ていたら死ぬよ」ってことなんでしょうね。
④なぜキコが助けてくれたのか
他の家のお手伝いは人形であったが、キコは一緒に心の深層に落ちたので眞人が「きっとどこかにキコがいる」と考えていたからと考えられる。
助けてもらった後、再度ペリカンのターンが訪れ、
ペリカン「何者かに連れてこられて、ここから離れる事もできない」
と言い残して死んでいった。
眞人はペリカン(悪)を認め、土に埋めてやる。自分の中の悪を認めたことで眞人は精神的に大人になったと言える。
その後、アオサギとの言い合いは最初に述べたような「自分でも本当にしたいことはわからない」という心理描写を表現しているように思う。「やりたいけどやりたくない」事ってたくさんあるじゃないですか。
アオサギと眞人はインコに襲われるが、若かりし眞人の母親「キミ」に助けられる。
⑤この異様な鳥縛りはなんだ
アオサギ、ペリカン、インコ。今作はやたら鳥が登場するが、鳥の特徴として「騒がしさ」が挙げられる。常に落ち着かず、騒ぎ、まとまらない。それはまるで人の心の中のよう。だから鳥なんだと考えます。
瞑想とか座禅を組むと分かるじゃないですか、心はお喋りだなって。
⑥抱き寄せる夏子
キミと眞人は夏子を見つけますが、眞人は夏子に「あんたなんて大嫌い! いなくなればいい」的なことを言われます。
が、眞人が「母さん! 夏子母さん」と呼びかけると必死に眞人を抱き寄せようとします。
……きっと夏子の中にも眞人のアオサギのようなものがいるのでしょう。自分でも本当の気持ち(眞人を好きなのか嫌いなのか、簡単な2択ではないのでしょうが)が分からない状態だったのでしょう。
⑦キミを元の世界に返したこと
眞人はキミを元の世界に返すことに反対。
病院の火事で死んでしまうから駄目だと。しかし、キミと話し、お互いが元の世界へ。これは眞人が母親の死を受け入れ、ちゃんと現実の世界での一歩を踏み出した証。新しい生き方をスタートさせたことを意味している。
ざっくりハテナはこんな感じですかね?
ちなみに大叔父との会話で「積み木を代わりに積み上げて〜」的なものは、心の中で解決するのでなく、現実で行動していく決意表明みたいなことだと思います。行動に移さなきゃ意味ない的な。
「そんなんより、俺は友達作る」みたいな。
あと、最初の火事のシーンとか、やっぱり宮崎駿って天才なんだな……って思えましたね。
個人的にハウルより好きかもな作品でした!
鬼滅を超えてほしいし、もっかいぐらい見に行きたいなぁと思います。
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